宝林寺遺跡

基礎データ

基本番号 0057
番号 0057
名称 宝林寺遺跡
指定 未指定
指定区分
種別 史跡
指定年月日
地区分類 赤松
所在地 河野原
所有者
管理者
概要  宝林寺は、1355(文和4)年、円心の三男・赤松則祐によって備前国新田荘中山から移転・建立された禅宗寺院です。赤松集落から千種川を挟んだ対岸の河野原地区に建立され、建立当初は河野原地区全体が寺域であるという大寺院でした。
 宝林寺は、中世の整備記録が大変豊富であり、1356(延文元)年から1389(嘉慶3)年まで、ほぼ毎年、整備や修理を行っています。赤松則祐は、1371(応安4)年に病没しますので、則祐が亡くなった後も、その息子の義則によって手が加えられていることが分かります。
 宝林寺は、1383(永徳3)年に十刹に列せられ、赤松氏の菩提寺として大切に守られていたと考えられます。現在、境内の円心館には、赤松円心など三尊像が安置されています。
 宝林寺遺跡の発掘調査では、寺院に関連するような遺構は認められませんでしたが、出土遺物に「寶」字を配する軒丸瓦や塼、住持の名が刻まれた丸瓦、小金銅仏などが出土しており、寺院の一端をうかがわせています。
 また、土器類では、大型の京都系土師器皿や青磁碗、瀬戸美濃焼埦、瓦質土器香炉など、一般集落では出土しないような高級品が出土しており、身分の高い僧侶や武士が居住していたと考えられます。
 出土した遺物から、14世紀代から16世紀にかけて営まれた遺跡であることが判明し、赤松氏が勢力を有していた時期と重なる年代の遺跡と言えるでしょう。

位置図

写真

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  • 宝林寺遺跡航空写真

  • 宝林寺遺跡井戸

引用資料等