赤松居館跡

基礎データ

基本番号 0055
番号 0055
名称 赤松居館跡
指定 未指定
指定区分
種別 史跡
指定年月日
地区分類 赤松
所在地 赤松
所有者
管理者
概要  赤松居館跡は、赤松集落内の一段高いところに、地元では「円心屋敷」と呼んでいる平坦地が広がっています。この平坦地は、東西約105m、南北約55mの範囲に広がっており、以前は旧赤松小学校・赤松幼稚園でした。この土地は、江戸時代の村絵図には、田畑として利用されている蒲鉾形の区画が描かれており、特別な区画と認識されていたことがうかがえます。
 この場所が、赤松氏の館跡であるかを確認するため、兵庫県立歴史博物館ひょうご歴史研究室と上郡町教育委員会では、平成28年度から3ヶ年計画で範囲確認調査を実施しており、現在までに、館跡に関連すると考えられる遺構や、大量の土師器皿などの遺物を確認しています。
 赤松居館跡の現況は、一見すると高低差がほとんどない平坦地に見えますが、地形測量の結果から、北東側が高く、南西側が低い地形となっています。現状では北東と南西の端で、約1mの高低差となっています。
 範囲確認調査では、遺構面を3面確認しています。最も浅い第1遺構面は、地表下約20㎝で検出しており、礎石柱列や溝、廃棄土坑、礎板を敷く柱穴などを検出しています。溝と廃棄土坑からは、大量の土師器皿が出土しています。また、鉄滓や鞴の羽口が出土しており、製鉄が行われていたものと考えられます。この第1遺構面は居館跡南西部を、大規模に土を盛り上げて、現状とほぼ同じ土地の区画になるように整地を行っています。
 第2遺構面は、地表下約60~80㎝で検出しており、南側に向かって緩やかに傾斜しています。この面は、黄褐色の粘土で上面を整地しており、その上に土器溜が認められます。また、第2遺構面は、南西側へ向けて急激に落ち込んでいくことも判明しました。
 第3遺構面は、第2遺構面の下、約20㎝の深さに認められます。第2遺構面と同様に、上面を黄褐色の粘土で整地しており、その下層には暗褐色の整地土が認められます。第3遺構面では、炭の部分的な広がりや焼土の広がりがあるため、検出はできていませんが、遺構が存在する面と考えられます。
 第2遺構面の土器溜からは、備前焼擂鉢が出土しており、14世紀半ばごろの年代が考えられます。したがって、赤松居館跡の整備記録から、赤松則祐の年代と考えられます。
 また、第1遺構面は、大規模に整地されているものの、出土した遺物は、第2遺構面のものと大きな違いが認められないため、14世紀代から遅くとも15世紀初頭に収まるものと考えられます。したがって第1遺構面は、赤松義則の時代と考えることができます。
 一方で、第3 遺構面は年代を決定できる出土遺物がないため、明らかではありませんが、少なくとも則祐以前の人物と考えることができます。

位置図

写真

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  • 赤松居館跡全景

  • 赤松居館跡第1遺構面全景

  • 赤松居館跡第2遺構面土器溜

引用資料等